はじめに
近年、日本をはじめとする先進国において、技術革新やグローバル競争の激化、消費者ニーズの変化などを背景に、いわゆる「斜陽産業」と呼ばれる分野が増加しています。こうした産業においては、企業の生き残り策としてM&A(合併・買収)や経営統合が頻繁に行われていますが、果たしてこれらの取り組みは本当に企業の未来を切り開く戦略となっているのでしょうか。本稿では、斜陽産業におけるM&Aの限界と、真に持続可能な成長を実現するための戦略的アプローチについて考察します。

斜陽産業の定義と市場規模の縮小がもたらす未来
斜陽産業とは何か
斜陽産業(Sunset Industry)とは、かつては成長産業であったものの、技術革新や市場構造の変化、消費者嗜好の変化などにより、市場規模が継続的に縮小している産業を指します。こうした産業は以下の特徴を持つことが多いです:
- 市場成長率の継続的な低下または負の成長
- 利益率の減少と価格競争の激化
- 参入企業数の減少と業界再編の加速
- 技術的陳腐化や代替製品・サービスの台頭
- 若年層の消費者や従業員の減少
日本においては、印刷業、紙・パルプ産業、固定電話サービス、一部の伝統的小売業、特定の電子部品製造業などが斜陽産業の例として挙げられます。経済産業省の「工業統計調査」によれば、日本の印刷業の出荷額は2010年の約6.5兆円から2020年には約4.8兆円へと約26%減少しています[^1]。
市場規模縮小の未来予測
斜陽産業の市場規模縮小は、単なる景気循環に伴う一時的な現象ではなく、構造的な変化に起因する長期的なトレンドです。総務省の「情報通信白書」によれば、デジタル化の進展により、紙媒体から電子媒体への移行が加速し、2025年までに印刷関連産業の市場規模はさらに15〜20%縮小すると予測されています[^2]。
また、PwCのレポート「Industry 4.0: Building the digital enterprise」によれば、デジタル化やAI、IoTなどの新技術の導入により、今後10年間で現在の産業構造が大きく変化し、従来型のビジネスモデルは急速に陳腐化する可能性が高いとされています[^3]。
斜陽産業に属する企業が直面する将来シナリオとしては、以下が考えられます:
- 緩やかな衰退と市場からの退出:何も対策を講じない場合、収益性の低下が続き、最終的には市場からの撤退を余儀なくされる
- 業界再編と寡占化:M&Aによる業界再編が進み、少数の大手企業が市場を支配する構図に
- 事業転換による再生:新技術の導入や事業モデルの抜本的変革により、新たな成長軌道に乗る可能性
斜陽産業の企業同士のM&Aが根本的解決にならない理由
「同質的統合」の限界
斜陽産業内の企業同士がM&Aや経営統合を行う場合、多くは「同質的統合」となります。これは市場シェアの拡大やコスト削減を主な目的としますが、以下の理由から根本的な解決策にはなりにくいのです:
- 縮小するパイの奪い合い:市場全体が縮小している中でのシェア拡大は、単に「縮小するパイの奪い合い」に過ぎず、持続的な成長には繋がりにくい
- 同質的な経営課題の継続:同じ産業内の企業は往々にして同様の経営課題を抱えており、統合によってそれらの課題が解決されるわけではない
- イノベーション創出の困難性:同質的な企業文化や技術基盤を持つ企業間の統合では、破壊的イノベーションが生まれにくい
デロイトトーマツのM&A調査レポートによれば、斜陽産業内での水平統合型M&Aの約70%が、長期的に見て企業価値の向上につながっていないという結果が出ています[^4]。
「延命措置」に終わるリスク
同業種内でのM&Aは、短期的には以下のようなメリットをもたらす可能性があります:
- 固定費の削減:重複する事業所・工場の統廃合による効率化
- 購買力の向上:規模の拡大による仕入れコストの低減
- 競争圧力の軽減:競合企業の減少による価格競争の緩和
しかし、これらのメリットは一時的な収益改善をもたらすものの、市場縮小という根本的な問題を解決するものではありません。BCGのレポート「M&A in Declining Industries: Pitfalls and Opportunities」によれば、縮小市場におけるM&Aは、適切な事業転換戦略を伴わない場合、単なる「延命措置」となり、最終的には更なる統合や撤退を余儀なくされるケースが多いとされています[^5]。
斜陽産業の企業が目指すべきM&A・経営統合の方向性
異業種との戦略的統合
斜陽産業の企業が真に持続可能な成長を目指すためには、同業種内でのM&Aではなく、成長産業や補完的な技術・サービスを持つ異業種との戦略的統合を検討すべきです。具体的には以下のようなアプローチが考えられます:
- 技術獲得型M&A:自社の既存事業を変革・高度化できる技術を持つ企業との統合
例:印刷会社によるデジタルコンテンツ制作企業の買収 - 市場獲得型M&A:成長市場にすでに参入している企業との統合による新市場開拓
例:固定電話サービス会社によるクラウドコミュニケーションサービス企業の買収 - バリューチェーン拡張型M&A:既存事業の上流・下流に位置する企業との統合による付加価値向上
例:紙製品メーカーによる環境配慮型パッケージングソリューション企業の買収
マッキンゼーの調査によれば、斜陽産業から成長産業への事業転換に成功した企業の約65%が、戦略的なM&Aを活用していたとされています[^6]。
成功事例から学ぶ
斜陽産業からの脱却に成功した企業の事例から、効果的なM&A戦略について考察します:
- 富士フイルム:写真フィルム事業の急速な縮小に直面した同社は、医療機器・化粧品・電子材料など、自社の化学技術を活用できる成長分野への多角化を推進。特に医療分野では戦略的M&Aを積極的に実施し、事業構造の転換に成功[^7]。
- ノキア:携帯電話事業の衰退後、通信インフラ事業に集中するためアルカテル・ルーセントを買収。5G技術の開発に注力し、通信インフラ市場での競争力を強化[^8]。
- IBM:ハードウェア中心の事業モデルからソフトウェア・クラウドサービス・AI事業へと軸足を移すため、戦略的なM&Aを実施。レッドハットの買収などにより、クラウド・AIソリューション企業への転換を図る[^9]。
これらの成功事例に共通するのは、「既存の強みを活かしつつ、成長分野へと事業領域を拡大する」という明確な戦略的方向性です。単なる規模拡大や短期的なコスト削減ではなく、将来の成長基盤の構築を目指したM&Aを実施している点が特徴的です。
結論:斜陽産業の企業が目指すべき道
斜陽産業に属する企業にとって、同業種内でのM&Aや経営統合は、短期的な延命措置に過ぎない可能性が高いことを認識する必要があります。真に持続可能な成長を実現するためには、以下の点を考慮したM&A戦略の策定が重要です:
- 自社の「核となる強み」の明確化:技術力、顧客基盤、ブランド力など、成長分野でも活かせる自社の強みを特定する
- 成長市場との接点の模索:自社の強みを活かせる成長市場を特定し、その市場ですでに実績を持つ企業との協業・M&Aを検討する
- 段階的な事業転換:急激な転換ではなく、既存事業から派生する形で新事業を育成し、徐々に事業ポートフォリオの重心をシフトさせる
斜陽産業の企業にとって重要なのは、「現在の事業分野で生き残る」という発想から、「企業としての存続と成長を実現する」という発想へのシフトです。そのためには、同質的なM&Aによる一時的な延命ではなく、異質な技術やビジネスモデルとの融合による事業変革が不可欠といえるでしょう。
[^1]: 経済産業省「工業統計調査」(2021年): https://www.meti.go.jp/statistics/tyo/kougyo/
[^2]: 総務省「令和3年版情報通信白書」: https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/
[^3]: PwC “Industry 4.0: Building the digital enterprise” (2020): https://www.pwc.com/gx/en/industries/industries-4.0/landing-page/industry-4.0-building-your-digital-enterprise-april-2016.pdf
[^4]: デロイトトーマツ「日本企業のM&A実態調査2022」: https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/mergers-and-acquisitions/articles/ma-survey.html
[^5]: BCG “M&A in Declining Industries: Pitfalls and Opportunities” (2019): https://www.bcg.com/publications/2019/mergers-acquisitions-declining-industries-pitfalls-opportunities
[^6]: マッキンゼー・アンド・カンパニー「事業転換の成功要因」(2021): https://www.mckinsey.com/business-functions/strategy-and-corporate-finance/
[^7]: 富士フイルムホールディングス「第二の創業」事例研究: https://holdings.fujifilm.com/ja/about/history
[^8]: ノキア公式サイト「Company History」: https://www.nokia.com/about-us/company/our-history/
[^9]: IBM「Annual Report 2021」: https://www.ibm.com/annualreport/